君がいる世界

地球回すロマンスを証明してみよう

100日後も推しているオタクチャレンジSeason2_day31

 

f:id:will-magic-0534:20231020083851j:image

 

Season2_day31 他の人に伝えたい推しの魅力

 

れんくんの魅力はいっぱいあるけど、

知れば知るほど濃く好きになる人だと思うから

あえて入りやすいところだけを書くと、

【とっても可愛らしい人】かな。

 

料理ポンコツなところとか、

イタズラしてキャッキャしてるところとか。

見てて飽きないし、

本当にかわいいなぁって思う。

猫なみの可愛さ。

にゃんにゃんとかまじでかわいい🐱🖤

 

100日後も推しているオタクチャレンジ Season2_day30

f:id:will-magic-0534:20231019101812j:image

 

Season2_day30 推しを〝推す〟ことにした決め手

 

れんくんを推すことに決めた理由は

包み込んでくれる優しさかな。

 

感謝の気持ちにしても、

思っていることにしても

なかなかな言葉にするのは恥ずかしいし

伝えることは難しいじゃないですか。

 

でも、廉くんは照れて恥ずかしいんだろうって、

思う瞬間はたまにあるけど、

ちゃんと言葉にしてくれる。

 

コロナでライブが長らくできてなかった時も

「有観客でライブがしたい。会いたい。」

って言い続けてくれたし、

昨年大変なことがあった時も

「みんなのそばにいさせて欲しい。」

「ファンの存在がアイドルを続ける意味になった。」

は本当に本当にうれしかった。

「たかがファンじゃない」は

本当に嬉しくて泣いた。

 

そんな廉くんだから、

色んなことがあったけど

今日もこうして廉くんのファンで

いることができてるんだと思います。

 

廉くんらぶ!

これまでも、これからも。

 

今日でジャニーズ事務所はなくなります。こんな言葉を言う日がくるなんて思いもしなかった。今日はジャニーズと私の思い出話をしようと思います。多分長年ジャニヲタをされている皆さんは共感してくださる部分もあるんじゃないかな?

 

ジャニーズと認識せず、お歌上手いなぁ。お友達になりたいなぁ。と小学一年生ながら思った人が、後の初代担当となるJUMPの薮くんでした。

 

ジャニーズと認識して、かっこいい!!すてき!って思ったのが、KAT-TUNの亀梨くん。きっかけは「ごくせん2005」と「たったひとつの恋」。

 

ジャニヲタって感じじゃなくて、本当に今思うと茶の間といっていいのかレベル。それが小学校5年生くらいまでの話。

 

私がジャニヲタになったのは、小学校6年生の時。期間限定ユニットのHey! Say! 7が世の中に放たれた時。Mステで見た時の衝撃は今でも覚えている。

「めちゃくちゃかっこいい!!!」って。中島裕翔くんがとにかくタイプだった。そして、アニメの「探偵学園Q」が好きだった私はドラマ版ももちん見ていたのだけど、天草流くん(=山田涼介くん)もいるじゃん!!ってなって、興味がめちゃくちゃ湧いて。1回亀梨くんがサプライズで登場した回もあって。そういうこともあり、初めて買ってもらったジャニーズのCDは「Hey! Say! 」でした。家族に「そんだけ沢山聞いてもらえるCDは幸せだね」って言われるくらいには聞いてた。(笑)

 

初めてアイドル誌を買ったのもこのタイミング。今は廃刊になった「Kindai」を買ってもらったなぁ。表紙は、やまゆとちね+森本兄弟だったはず。(あれはアイドル誌になるのか?)その後、「duet」とかも買うように。「duet」だけは、2008年の1月号から最新号全部未だに本日丸ごと家にあります(笑)

 

期間限定のHey! Say! 7からHey! Say! JUMPになって。その時に薮くんが加入されるんですが、CDデビューちょっと前に当時手越担だったヲタクにきっかけはなんだった忘れたけど、「薮くんって昔こんな可愛かったんだよ!」って見せてもらった写真で、点と線が繋がったというか。昔お友達なりたいな、こんなお歌が上手い人って思えたのがこの人だったんだって。それからは薮くんに夢中だった。でも、歳が近い、やまゆとも好きだった。JUMPに夢中になった。

 

そして、2008年の春。小学校卒業のタイミングで、

ある一通のハガキが届きました。今思うと多分埋まらなかったからかなぁって思うけど、印刷されたファンレターのお返事とコンサートの案内がきてて。

お母さんに「コンサートのお知らせ書いてある!行ってみたいなぁ!」って言ったら、「卒業祝いに行こっか。」って言って貰えてJチケの枠で取ってもらったんだよなぁ。Jチケ知ってる人いる?昔は埋まらなかったコンサート、無料会員登録したらコンサート申し込みできたんだよ!今じゃ有り得ないけど(笑)それ以降、JUMPのFCができるまでJrの情報局(当時ハガキシステム)に入って応援したの懐かしいなぁ。

 

その後、SUMMARYとかJUMPのコンサートや舞台を色々行きました。多分、この16年で50公演以上は行ってると思うよ(笑)中でも印象深いのは、2009年の東京ドーム。ラストの挨拶で、薮くんが「みんながいるから僕達がいるわけで、僕達がいるからみんながいる。みんながいないと生きて行けません。」って言ってたことが印象深くて。この時、学校で私なんて居なくてもいいんじゃないかって思うようなことがあって。薮くんの言葉に、へこたれそうになった時どれだけ救われたか。

 

色々あって、2014〜2016年の約2年間悩みまくってて、薮くんを降りました。私のアイデンティティというか、ジャニーズの原点は薮くんだし、JUMPがきっかけでロクにそれまで話をしなかった母親と会話をするようになり、喧嘩をすることもあるけど今も一緒にお互いの現場に行ったりするくらい関係が修復できました。薮くんの現場で1番好きだった「シー・ラヴズ・ミー」が今年12年半ぶりに再演したのは嬉しかったなぁ。御園座まで行っちゃったもん(笑)

 

薮くんのあとは、SexyZoneの中島健人くんにいきました。元々、B.I.Shadowというか、ふまけんが好きで。ただし、茶の間レベル。なんでFCに初期から入ってた。なんで入ったのかは覚えないけど(笑)気づいたら入ってた。(会報1号から持ってる)

そんな私が、2016年のカラフルEyesのファンミーティングで、一気に色々変わって。健人くんを本気で好きになってから、大学入学してすぐくらいに発症した病気も回復したし、自分らしくいていいんだって前向きにさせてくれたのは健人くんだった。健人くんが見せてくれる世界がすごく新鮮で楽しくて居心地良くて。大学後半から2020年までは確実に私の全てはSexyZoneでした。

1ツアーあたりの行った数はSexyZone超えるグループ今後ないと思う(笑)最大6都市?だったかな。

5周年のツアーでおばあちゃんがバクステ最前当ててくれて、一緒にコンサート行ったのもいい思い出。

本当に楽しかった。映画のエキストラも行ったし、舞台挨拶は現地も中継も健人くんが1番最初の人だったなぁ。本当に健人くんには色んな景色を見せてもらった。そして、色んな感情になったなぁ。薮担の頃はあんまり嫉妬とかなかったけど、健人くんの時は凄かったから。(今は多分さらに超えてる気がするけどww)

 

紙チケから電子に変わったのもこのあたりタイミング。2017年のコンサートが紙とデジチケ混ざってたよね、そういえば、FCのペイジー導入もこれくらいだっけ?便利になったよなぁ。今はクレカいけるもんなぁ。あと、電子になってからよね?チケット表記がアリーナ何列何番表記に変わったの。昔は番号だけで、何列目かは当日行くまで分かんなかったのが本当に懐かしい。

 

まあそんなこんなで、2020年。

これは私が悪いんだけど、SexyZoneのことは好きなのに、色んな感情が混ざって、信じることができなる出来事があって。でも、私はSexyZoneを嫌いになりたくなかったから、ガチヲタはやめて緩くなろうと思って。緩くなると決める少し前、外出自粛やコロナ禍のストレスとか仕事ここととか色んなことがあって、自分が壊れかけて。そんな時に何気なく見ていた配信ライブでズキューンと私の心を撃ち抜いたのが永瀬廉くんでした。何回もここでこの時の話は書いてるから割愛するけど、気づいたらすっごく夢中になってて。しばらくは廉くんを愛でながらSexyZoneを応援しようと思って先日で3年になってました。

 

ほぼスタートは薮くんだけど、その薮くんのバックをついてたのは健人くんだし、健人くんのバックについてたのは廉くんだし。みんなJrの頃から知ってたのは先輩のコンサートや番組きっかけ。

 

健人くんは「スクラップティーチャー」、廉くんは「まいどジャーニー」の初回放送。まいジャニは、初回テーマがセクゾだったから見よう!って思ってみたのが1番最初で面白かったから、しょうれんレギュラーの間くらいまでは毎週ちゃんと見てました。がっつりジャニヲタという人種になって16年くらいですが、ジャニーズ事務所という他の芸能事務所とは違うJrというシムステムがあったからこそ、今に繋がっているんだなって思います。

 

正直、この1年ヲタクしてて辛いなあって思うタイミングもあったけど。それでも、ヲタクをし続けたのは彼らが辛い以上に沢山の幸せをくれたから。

今は、廉くんが1番で、健人くんのこともほどよく応援できていて、居心地いいです。事務所のことは不安でしかないけど、本人たちに対してはなんの不安もない。

 

私とってホームです。

 

誰がなんといおうと、ジャニーズ事務所の人達に沢山救われたし、今の私のアイデンティティはジャニーズからできている部分もあるし。私にとってジャニーズはすごく、すごく、大切なものです。

 

過去の過は会社としてきちんと精算して、レベルアップした新しい未来が明るい未来でありますように。

 

形は今日をもって変わってしまうけれども、これまでも、これからも。ひとりひとりが素敵な魔法をかけてくれる、ジャニーズが大好きです。

 

これからも大好きだよ!

ありがとう!!

 

100日後も推しているオタクチャレンジ Season2_day29

f:id:will-magic-0534:20231016083758j:image

 

Season2_day29 推しが1番輝いている瞬間

 

 

れんくんが1番輝いている瞬間は、

コンサートの時じゃないかな??

 

れんくんはいつもキラキラしていることは

大前提であるんだけど、

その中から1番を付けるのなら

確実にコンサートのとき。

 

お互い好きを伝えて

相思相愛みたいなカレカノみたいな

笑い合いが出来ていると私は思う。

 

その時のれんくんが本当にだいすきで。

いとおしくて。

この人を好きになってよかったなぁって。

 

それが私が思う1番輝く瞬間。

100日後も推しているオタクチャレンジ Season2_day28

f:id:will-magic-0534:20231015104941j:image

 

Season2_day28 推しの好きな表情

 

今日から再開しようかなって思います。

年内はちょっと厳しいかもだけど、

遅くても廉くんの誕生日までに

終わらせられるといいなぁ。(笑)

 

廉くんの好きな表情は、

いっぱいあるけど

ライブでドキッとするのは

目が会った時ににやっとした顔。

 

その時の顔と似たような表情は

「法廷遊戯」予告編の41秒あたりです!

映画『法廷遊戯』予告篇(11.10公開) - YouTube

 

 

 

愛おしすぎてたまらない

廉くんを好きになって、今日で3年になりました。これを打っている私は福岡空港の滑走路なんですけど(笑)3年かかって自名義やっと当たりました。ということで、昨日の福岡公演参戦してきました。その時の話は、友達が連れてってくれる愛知公演終わったら詳しく書こうかなと思ってます。

 


今回1人行動だったので、わりと移動時間とかはゆとりがあったので、過去のブログ読み返してました。最近の私しか知らない人は驚きそうですが、当初はガツガツになる予定はなかったんですよ。何度か書いてるけど、永瀬担になるきっかけの「L&」の配信ライブはお礼みたいな感じだったし、配信ライブってそれまで見たことなかったからセクゾ前の予習くらいにしか思ってなかったんですよね。本当に。


それが蓋を開けたら……(笑)


廉くん推すまで年下を推したことなくて、すっごい迷ったんですよ。いうて、1週間くらいですけど。弟より下っていうのが余計に。KPの配信ライブ後に「ながせいけめん」ってツイートをしたんですけど、その時に「のんが健人くん以外を褒めるなんて珍しい」ってKポヲタの親友に言われて。「多分、それ好きだよ。」なんて会話をしてたんですけど。本格的に悩み始めた時に彼女は「私だけは絶対にのんの味方だし、そばにいる」って背中を押してくれたんです。担降りというものは何度かしてますがその度に人が離れて行って。〇〇担の私にしか興味がないんだって思い知らせたというか。多分それをわかってたから背中を押してくれたんだと思います。


3年たった今思うこと。その親友に本当に感謝しています。

 

廉くんを好きになって3年、たくさんの楽しいこと、辛いことありました。特にこの1年は本人もだけどヲタクも考えさせられることがすごく多くて。


不安になる度、「みんなの傍にいさせて欲しい」「ファンの子に会いたい」「みんなが好きな人のところに安心して着いてっていいんだよ」ってずっと優しくて強くないと出てこない宝物のような素敵な言葉とそれに伴う行動をずっと示してくれました。だから、迷うことなく私は廉くんに着いていくことができました。


ちょっとポンコツで、めちゃくちゃ照れ屋でツンデレだけど愛情深くて包みこんでくれるような優しさがある廉くんに、私は何度も救われました。廉くんがいたから今日も生きることができています。


廉くんは「おまえなぁ(笑)」って言いそうだけど、

廉くんを好きになって本当によかった。

ダサいところも見せちゃうかもしれないけど、嫌いにならないでね(笑)好きでいてね。

これからも傍で見守らせてね。


廉くん、今日も明日もこれからも大好きです。


以上を3年のブログとさせていただきます。

ありがとうございました。